忘れる幸せ

 数千年前の古代遺跡の壁面に、「最近の若者はまったくもう。。。」と書いてあったそうです。話の出どころは定かではないそうですが。でも、昭和一ケタ生まれ(昭和元年~9年生まれ)の人から僕が聞いた話は本当です。なんでも、昭和生まれの人は明治生まれの人に「根性無し」と言われていたのだそうです。ちなみに僕がアシスタントだった30年近く前、僕ら世代は当時の先輩連中に「最近の“新人類”はまったく…」と言われていました。なにが「まったく」なんだか、意味がわかりませんでしたが。そして今、「これだから“ゆとり”は…」と、いう声を耳にします。

 

 一応、オッサン代表として、非難する側の気持ちを弁明しておきます。若い世代の文句をいう大人たちは、それまで色々な失敗や後悔をしてきました。でも、そこで投げ出さずに頑張ってきたから、少しは分別のある大人になれたと本人は思っているのです。でも、その大人たちも、自分らが若い頃は、なーんにも考えていない、感じもしない、気も利かない、世間知らずのガキだったはずです。さっぱり忘れちゃってますけど。

 

人って、恥ずかしいことや情けないことは一番忘れやすくできているのだと思います。辛かったこと悲しかったことはその次に忘れやすくなっている。で、楽しかったことや嬉しかったことは、忘れにくくなっている。だから、前を向いて生きていけるし、自分のことは棚に上げて、平気で若い人たちの文句が言えるんです。

 

この忘れるって、とても便利な人間の機能です。嫌なこと、つまらないことは一過性のものであって、どうせ記憶に残りません。山登りだって、頂上登るまではヒーヒー言っていたにも関わらず、下山して元の登山口に着く頃には、その苦しさなんか忘れちゃって、良かったな~次はどこの山に行こうかな~ってのんきに考えているもんです。

 

最近、若い人たちが「下積み」を必要とする職業を敬遠しがちだと、あちらこちらの業界から聞こえてきます。これは、数千年前から繰り返されてきたことではなく、ここ何年かの新しい傾向のようです。たぶん、物心ついた頃からネット環境のあった世代が大人になってきたからだと思います。一見、便利なインターネットです。でも、このネットのお陰で、事前に想定できていないことには極度に臆病な人が増えたのは確かなようです。

 

アシスタントを経てカメラマンになった人たちに、その下積み時代を聞けば「キツかったけど、多くを学んだことは確か。それがあったから、今の自分がある。もう二度とゴメンだけど。」と多くの人が答えます。それもやがて、僕くらいのオッサンになると、キツかったことはさっぱり忘れ、ただただ甘く青臭くも輝かしき懐かしい想い出に変わるのです。

 

感性系職人を目指す人でも、『自分に優しい』を選択しがちな人はいます。その選択をするたびに自分の可能性を狭めてしまっていることをわかっている人は、残念ながらほとんどいません。どうせ辛いことは忘れちゃうんです。たかが数年です。環境的にも、状況的にも、体力的にも、精神的にも、若い時しかできないことです。「下積み」のシステムを自分の人生に組み込んでみても充分面白いと思います。