回る回るよ時代は回る

 

 僕が子供のころ、テレビには脚があり、畳のリビングには丸いテーブル(ちゃぶ台)。冷蔵庫は白くて丸っこく、エアコンは茶色くて巨大でした。

 今は、オシャレとされるミッドセンチュリーの家具ですが、僕に限っては怒られてばかりの子供のころの記憶が一緒によみがえってくるため、正直言って苦手です。

 

 

 ところで、写真がフィルム全盛の時代だったころ、一部の最先端の方々の間で8×10ポラ(20cm×25cmのチェキのようなもの)が流行っていました。フィルムでは出すことのできない独特の風合いが、超カッコ良かったです。

 デジタル全盛の今、フィルム回帰の流れがあるのも、同じ理由からかもしれません。

 

 

 確か、僕が小学生から中学生のころ、メディアは盛んに「詰め込み教育」が多くの若者の可能性を殺していると主張していました。子供にそんなに勉強させるべきではないという立場で論陣を張り、文部省(当時)を批判していました。

 今、その反省を元に策定された「ゆとり教育」が批判の矢面に立たされています。きっと、今後は言い方を変えた「新・詰め込み教育」が、しばらくの教育トレンドになることでしょう。

 

 

 いわゆるファッションの撮影では、10~20年くらい前までは「フロント紗幕」などの多灯でフラットにまわした柔らかい光が好まれていました。その後は、ライティングの原点ともいえる1灯ライティングがもてはやされるようになります。

 大型ストロボ1発や、映画で使われるようなスポットライト(HMI)が多用されるようになり、カメラのホットシューにクリップオンのストロボを付けただけでの生っぽい撮影で、その頂点を極めました。今は、また少し多灯するライティングに戻りつつあるようです。

 

 

 バブルのころ、パリのシャンゼリゼ通りにある高級ブランド店には、日本人観光客が大型バスで大挙してやってきていたそうです。で、当時の日本人の話し声はでかいし、食べ方は下品だし、パリの人たちから白い目で見られているという自省的な新聞記事を当時読んだ記憶があります。

 これを知っていると、あまり他の国の方を悪くは言えません。というより、日本も再びパリの街中で大声出しながらパスタ音を立てて食べる時代が来ればいいのに(笑)って思います。それこそ、「これだから、バブル世代は・・・」と非難されそうですが。

 

 

 そういえば、バブル世代で思い出しました。僕は若い頃、「これからは、暗い人より明るい人、重いタイプより軽いタイプ、無口よりよく喋る人、真面目より創造性のほうが大切になる。地道な努力よりも閃きの時代になるのだ。」的なことをよく聞かされ、よく読み、よく目にしていました。

 それから30年。アメリカのペンシルベニア大学アンジェラ・リー・ダックワース博士チームの最新の調査・研究により、人生で成功するために最も必要な要素が解明されたそうです。それは、「知能指数」ではなく、「タレント性」でもなく、「天賦の才」でもなく、「根性」だったそうです。

 

 

そんなこと、今さら言われたって、リンダ困っちゃう。もう、どうにも止まらないのです。