「ライティングなんて、何だって一緒」の秘密

 先日、来られていたフォトグラファーさんが、モニターに映し出されたモデルさんのアップ画像を見ながらメイクに感嘆していたそうです。

 

 

カメラマン:「何だろうなぁ~、この肌感…。どうやったら、こんなにきれいに出せるんですか?」

 

ヘア&メイク:「いやいや、今日は何もしてないですよ。ファンデーションもそんなに塗ってないし…」

 

カメラマン:「スペシャルなことをする人って、皆、何もしてないって言うんですよ!」

 

 別に、カメラマンさんがヘア&メイクさんにヨイショしていたという話ではありません。ヘア&メイクさん本人にしてみれば、決して謙遜しているわけではなくて、正直に言っているだけなんだけど、周りから見たら凄いって話です。

 

 

 

 この話を聞いて、僕は以前あるフォトグラファーが言っていた言葉を思い出しました。

 

 ホームページには、繊細且つ大胆でクールな作品がこれでもかというように並んでいる方です。その広告写真の第一線で活躍し続けている方が、「ライティングなんて、なんだって一緒。」と言っていたのです。

 

 僕は、そのような境地に達していないので、正直正解はわかりません。でも、想像してみるとたぶんこうなんだろうなと思うことがあります。

 

 僕が18歳の頃、自動車の運転免許はマニュアル車しかありませんでした。(AT限定もあったかもしれませんが、男がATなんてあり得ない!という時代でした。)で、そのマニュアル車を教習所で運転するのですが、頭で考えながらやっているうちは全然上手くできません。

 

 右手をハンドル、左手をサイドブレーキ、右足はブレーキペダル、左足はクラッチ。発進するには、右足でブレーキを踏みながら、左足のクラッチを踏み込み、左手でサイドブレーキを解除してシフトをローに入れ、右足でアクセルを踏みながら、左足のクラッチを離していく。

 

 

 

 それでも慣れてくるうちに徐々にスムーズな運転ができるようになり、何とか免許を取ることができました。その後も運転の好きな人や、仕事で乗らざるを得ない人はますます慣れていき、ほとんど無意識に運転ができるようになるのです。

 

 これと同じと言っては失礼かもしれませんが、この無意識に運転が出来てしまうのと同じ脳の部分を使っているのだろうと思うのです。無意識なので、本人からすればメイクもライティングも、やったという自覚がないわけです。

 

 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」って言葉があります。若い頃、僕はこの言葉を聞いて、「誰が、んーなバカなことするか!オレは絶対にやらねー」と心に誓っていました。

 

 でも、最初こそ頭で考えながらギコチナクもやっていることが、慣れていくに従って、無意識に出来るようになってしまうという意味では、まんざら無駄ではなさそうです。

 

 半世紀生きてきて、やっと気付きました。