No shooting no life

 「田辺くん、これからはカメラマンはもうダメよ。昔は良かったけどね。でも、今の人たち大変そうだもん。田辺くんはカメラマンじゃない仕事探した方がいいわよ、本当に。」

 

 時はバブル絶頂期、六本木にあった撮影スタジオの喫茶室のお姉さんが、当時スタジオマンだった僕にくれたアドバイスでした。

 

 僕は別に、そのアドバイスを真に受けて、今マネージャーをやっているわけではありません。もしかしたら、僕にカメラマンの才能が無いことを見抜いたお姉さんの優しさだったのかもしれませんが(笑)。

 

 それから30年。業界は、バブル崩壊・フィルムからデジタルへの移行・暗室作業から画像処理・震災・リーマンショック等、様々な荒波に揺さぶられてきました。

 

 で、当時、お姉さんが僕にくれたアドバイスが正しかったのかどうか。

 

 僕の答えは、ある意味◯で、ある意味×。

 

 たぶん、あの頃お姉さんがイメージしていたカメラマンって、カメラはハッセル、車はベンツ、夜は派手に遊びまくって、昼は「先生」と崇め奉られているような人のことだったのだと思います。確かに、今どこを見回しても、そんな人はいません。

 

 時代は変わっています。昔の成功体験にしがみついていれば、先細り感に苛まれるのは当然かもしれません。 

 

 あるフォトグラファーは、数年前から活動の拠点を経済発展著しいアジアに移しました。若く新しい国々では、これまでの実績を問われることもなく、日本なら当たり前のように聞かれる「師匠は誰か?」という意味不明な質問もないとのこと。コミュニケーションができてジン(作品集)さえあれば、日本ではありえないほどのスピードで撮影依頼が舞い込んでくるそうです。

 

 あるスタジオOBは、早い段階から故郷の地方都市でフォトグラファーとしてやっていくことを心に決め、地方ならではの営業を試行錯誤していました。今、彼は、東京での成功を武器に帰郷してくるフォトグラファーの営業スタイルでは、自分のようには成功できないということを強く感じていると言います。

 

 ここ数年、フォトグラファーの視点やこだわりを持つ人が、映像の世界に踏み込むことさえできるなら、それはチャンス以外の何物でもありません。

 

 『生き残るのは、最も強い者ではなく、最も賢い者でもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。』

 

 結局のところ、ダーウィンが残した言葉通り。

 

 僕はたまたま偶然、様々な分野で活躍しているフォトグラファーと知り合える立場にいます。今後は、僕が見聞きする新しいカメラマンの形をこのブログでご紹介していこうと思います。

 

 今年もどうぞよろしくお願いします。