画角と被写界深度

 人にはそれぞれの視野があり、各々の被写界深度があります。広くても狭くても、深くても浅くても、その人の見えているものがその人の全てなのです。視野の外にあるもの、意識のピントの合っていないものには、その存在すら意識することができません。

 

 

例えば親子編(表)

 

 例えば、16のあなたにカッコ良くて優しい彼氏ができたとします。その彼と一時も離れず一緒にいたくてたまらなかったとします。

 

 でも、あなたには、仕事ばかりで家のことにはまったく理解のないイラつく父親がいたとします。家に帰れば、その父親から偉そうに干渉されムカついていたとします。

 

 それでも、彼と一緒にいられさえすれば、その時間だけは永遠のように幸せだったとします。

 

 だから、ある日、家に帰って玄関に立っていた父親から頭ごなしに怒鳴られたとき、もうこんな家には帰りたくないと思い、彼の元に走ったとします。

 

 

 

例えば親子編(裏)

 

 例えば、あなたに16歳の娘がいるとします。最近その子の帰りが極端に遅くなるようになってきたとします。

 

 あなたが「こんな時間まで、どこで何をしていた?」と聞くと、「友達と一緒にいた」としか言いません。それ以上聞こうとすると、怒って自分の部屋に閉じこもってしまいます。

 

 それでも、日を増してその子の帰りは遅くなり、とうとう朝まで帰ってこない日があったとします。これは、親としてしっかり言わなければならないと考えたあなたは、帰ってきた娘にこれまで我慢していた感情をぶつけます。

 

 そして、娘は家を飛び出し、そのまま帰ってこなかったとします。

 

 

 

例えば師弟編(表)

 

 例えば、あなたは将来フォトグラファーになることを目指し、撮影スタジオに勤めていたとします。入社から2年が経ち、それなりに責任のあるポジションを任されるようになったとします。

 

 もちろん、仕事も一通りのことは難なくこなせるようになっていたとします。そこで次のステップを考え、スタジオを退社し、フォトグラファーのアシスタントに就いたとします。

 

 でも、そこでは毎日のように怒られ、仕事の出来ない自分はただただ情けなく、大変な日々を送っていたとします。近頃は、いっそのこと辞めてしまったらどれだけ楽だろうかという考えが頭をよぎるようになってきたとします。

 

 そしてある日、日々の忙しさで疲れは取れず、深夜まで続くレタッチで寝不足の中、いつまでも否定され続ける自分に限界がきたとします。

 

 

 

例えば師弟編(裏)

 

 例えば、あなたは仕事に追われる人気フォトグラファーだったとします。忙しいので、当然アシスタントを雇っていたとします。

 

 しかも、日々の仕事をこなすには、アシスタントにもそれなりのレベルを求めていたとします。だから、アシスタントにする人は、未経験者ではなく、スタジオ経験者に限っていたとします。

 

 そこで、撮影スタジオでの経験を持つという人を次のアシスタントに雇い入れたとします。でも、その人はスタジオに2年も居たという割に、ラフを見せてもそのイメージ通りのライトが作れないとします。

 

 本人は出来たつもりでいるようですが、いつも大きく手直しをしなければならないので、任せっきりにすることができません。さすがにテザーは一通りできるようですが、ちょっとトラブると、とんちんかんな対応しかできなかったとします。レタッチに関しては、そもそもビジュアルセンスが無いのか、何度もやり直させなければならなかったとします。

 

 それでも、来たばかりの頃に比べれば、少しはマシになってきたと思えるようになってきたある日、突然その人は来ず、連絡も取れなくなったとします。

 

 

 

親子の視野と被写界深度

 

 いくら父親が「お前のことを想うからこそ、言っているんだ。お前もそのうち、わかる時がくる。」と言ったって、人生のピントは目の前の彼氏にしかきていないのですから伝わるわけがありません。

 

 娘の被写界深度が深まり、父親にもピントが来るようになるまでには、もう少し人生の経験値が必要なのかもしれません。

 

 

 

師弟の視野と被写界深度

 

 師弟関係は、親子関係と立場が逆だということを理解しておかなければなりません。師匠が子供で、親がアシスタントと考えるべきなのです。

 

 子供(師匠)を理解すべく努めるべきは親(アシスタント)です。親(アシスタント)は常に子供(師匠)に寄り添い、見守らなくてはいけません。子供(師匠)の良い芽を伸ばし、自己肯定感をたくましいものにするためのサポートに徹するべきなのです。

 

 

 

総まとめ

 

 そうはいっても、親子関係も師弟関係も結論は一緒です。親は、子供から人生にかけがえのないものを与えられるのですから。

 

 スタジオマンの上っ面だけにピントを合わせ、画角の狭いレンズで覗いていたってダメ。カメラマンやそのクライアントが何を望み、どのような事情の中で何を求めているのか、親は日頃の忙しさにかまけず、それを理解し応えられるようにならなければなりません。

 

なんとなーくスタジオに居るだけなら、何年いたってダメなんです。

 

そこのスタジオマン、子供に寄り添える準備はOK?